メンヘラ気質

僕は基本的にメンヘラに属する気質を持っているとおもう、落ち込むと周りが見えなくなって自分が正しいという観念に支配されてとてつもなく面倒になるからだ。

 

基本的にはそういう時はなるべく人には関わらないようにはするし、最低限の関わりしか持たないようにはしている。なのでメンヘラとかヤンデレとかそういう人達を否定はしない。

 

でも相手に対して故意にだとか自分本位に迷惑をかけるというのは違うと思うので、そういう人達には何かしらは言うし愚痴も言う。

 

僕も周りの人も聖人君子ではないのだからよほどの事がない限り人生に介入しないでいいのだ。

 

結局人間なんてものは選択する決定をしてしまえばその人は勝手に納得するのだから。

 

だからこそ僕は僕なりに様々な価値観を受け入れながら自分のブレない部分と折り合いつけて新しい観点や気づきを増やしていきたいと思うし、言葉に関してもメンヘラやヤンデレという人種に一定数の否定や肯定が存在するのでどちらにも響くようなフラットな表現を体得していきたいと思うんですよね。

 

基本的にイベントとかそういうのをするから障害者という事は開示はしているけれど、必ずしも全てが出来ないわけじゃないので健常者だからとか障害者とかじゃなく人間として付き合える場所作りをしていきたいなと思ってます。

 

通常イベントは障害がどうのとかもいってないしね、それに感情移入しすぎて自滅しすぎなのでそこんとこの抑えはしたいなと思いますよね。

 

なので筋トレできるなら皆さんしましょう、経済力がすぐにつかなくても肉体を丈夫にすることはできるので元気なうちに少しやっときましょう。出来る範囲で

 

障害者だから甘えてるというイメージはどこでもついてくるし、個人的な行動の中でも出てくるわけだから、健常者だから一般レベルで頑張れるから苦労しろというのもナンセンスだし、そこらへんの苦労を分散させる形で何かできる行動が起こせたらいいよなあと思っている。

 

正直気分の浮き沈みが激しいけども、そこらへんは工夫で抑えれるとこもあんだし、選んだ部分と切り捨てる部分、見極める覚悟を伸ばしていけばまた変わるのかなと思ったり、一人が難しいなら対話できる人を増やすというのも大事なんかなあと。

 

メンヘラとヤンデレに健全さを付加するのはきちんと対話できる場所と肯定できる存在を増やす事が一番いいのかなあとも考えてます。

 

とりあえず行動できる場所を用意するのと表現で何か出来るんだという自信を求めれる場所を作りたいなとそればかり思っている今日この頃です。

 

発言できることは時間かかっても出来るとおもうので、自分が体得するのが難しいのは人に頼るのもありますが。