取得が難しくても

取得が難しくてもなんらかの学ぶ時間と労力はそれぞれにあるわけでその部分を考えたり感じたりすればいいんだろうなあとも思うわけですよ。身になるものも目的のベクトルも伝えるべき事柄も皆違うわけだから。

 

僕は詩が好きだけど伝えるためのものという認識であるわけだから、どこか文学的なものとは違うし、もしそれが自分の目的から外れたものになったとしたら捨ててもいいと思っている。勿論僕の作品を好いてくれる人もいるのでその時はきちんとした話でやらなくなることは伝えるけども、今も誰かのイメージで詩を書くという事が多いし、正直稼ぎが出せるものを生み出してるのではなく精神的に満たされるものを作っているような感覚になっているような気もする。

 

結果的に慈善事業のようになっているし、自分のイベントを維持するというのは難しいような気もしている。毎回赤字を生み出すイベントも違う。このイベントをきっかけに何かやる気が出来たらいいというのは根源的にあるけれども、仲良しこよしじゃやってけないなあとも思う。

 

お金が全てではないけど主催者が身を削る意味とかも分かってもらえたらいいなとも思うし、演者さんの希望も聞いていきたい。それを考えたら落としどころを生み出すのも大事なので、その落としどころをどこか情のままに設定してしまうので、そこらへんの損得の価値の取得も考えていけたらいいなと思う。

 

少なくとも今後は身を削ってのイベントは控えていくのでそこらへんは相談しつつ一定の規模でまわしていきたい、マネジメントがクソ下手なのでそこらへんで色々悩む事も多いが、経験に勝るものはないので少しずつ明確な言葉や行動を示せるといいよなあという感じ。才能がないので行動と思考は常に回してなければいけないとおもうので、表現をしたいと考えた時からいつも変化のきっかけを産み出そうと考えてる。

 

小さな事ばかりで感じ方も人とは違うのかもしれないけれど、今出来る事を構築し続けるのが今出来る最大限の事なのかなあと。