障害をネタにするのは是か非か

障害を差別しないというそんな世間の変革期にこんな事を言うのはナンセンスだとは思うけれども、あえてその疑問点についてに個人的見解というのを話していきたいと思う、気に入んないとかそういうのであれば最初に謝罪しておきます。

 

僕個人は障害をネタにするのはアリだと思います、個人の範疇でいえば、大多数の団体でいえば不特定多数もいますし、障害に対してなんらかの思いを抱く方もいるでしょうし、そこらへんの匙加減は言葉を話す人次第でもあるのでしょうが、個人の生き方とっしての行動だとか思考そういうものを話のタネとしてのネタはありだと思います。なぜなら個人であればどうカスタマイズしていこうが否定も肯定も自己責任の範疇で受け取れるから、それに団体というものを作るときある程度の知識や肯定感情を持っている人でなければ成り立たないというのが僕の経験上感じた事です。

 

障害関係の事をビジネスとして利用しようとする人もそれなりに居るので自衛手段、僕の場合は会ってどんな人か確認してからとかDMで話したりしてから判断します。

 

のせられて大変になる事例もあるみたいですからね、ちょっと生のイベントのとこに足を運ぶのも有用だとおもうので、自分に合ったタイプのイベントに足を運ぶのもいいでしょう。

 

少し話をそれましたが自分は障害という事を開示してますが、基本的に生きにくい人という観点で僕個人を見てます、仕事しづらい人だなあという事で、それを解消するにはどうしたらいいかというとイベントやなんらかの表現をするという事なんだろうなあと思います。知識を取得するのがすごく遅いタイプという自覚があるので回数をこなしたり、遊んだりして一般的な行動や考えを色々と感じて生きるという事をしてます。

 

一般的な見方としては努力が足りないみたいに言われるのでしょうが、それはそれで仕方がない方だし、診断を受けてない一般人だって苦労を重ねて生きているわけだから、障害という肩書だけで働かないんでいいんだとか行動を起こさないというのも違う感じがします。

 

健常者が障害という方を面倒みなきゃいけないという強迫観念に近い雰囲気もあるなと個人的には感じます。勿論出来る出来ない事もありますし、仕事につくまで長くかかる方もいるし、すぐ決まる方もいる。障害関連の界隈だって差別は存在するし理不尽な事もある。

 

そんな中で自身の事を笑い話にできるくらいの力を持った障害の肩書がある人というのは健常者も障害者も関係なく笑いや納得にできる強い力があるのでそういう人達が生まれやすい場所を作れたらいいなあとは考えてます。

 

だから個人的には自分の経験をネタにしたり笑いに変えるというのはありだと思いますね、乏しめたりなんだり負の感情を向けるのはダメだと思うし、個人が納得して話す人には物申すのもありかなとは思いますけどね、団体だと様々な考えを持つ人がいるからそこらへんは考えなきゃいけないかもだけど。

 

100%わかるよと言えないし、障害があるからとアピールしてるのも嫌いな人もいるわけだから納得できるだけの発言は考慮できるようにするといいよねって話。僕のこの日記ももしかしたらアピールだとか思われるんだろうし、それはそれで話せる人がいたら意図を話せばいいからね。

 

努力の価値観や見方なんて人それぞれでぶれいないものがあればそれを大事にしてけばいいのかなと思っている。お互いがお互いの価値観で埋めないような関係性が一番いいのだろうけどね。サポートが必要な人は必要だしそれはいいけれど、出来る人にばかりおんぶにだっこもいけないよね。