基本的に相手の感情や心を察するのが難しいようだ

どんな物事でも俺は普通に皆を大事だなあと思っているんだが、最近になって思うのが相手の感情や心を察するのが難しいのだなあと感じた事。

 

多分理解するのが非常に難しくて言葉にするとどうにも言い訳じみたものになるのだなあとなんとなく感じた。理解してないのにもやもやを言葉にしてもそれは謝罪ではなくどうにも自分の気持ちを整理するだけのものになってしまうので、その気持ちを上手く言語化出来たらいいのになあとも思うのだ。

 

何に怒り泣いてるのかをわからないうちは人間らしい行動をとるのは難しいのかなあとも思う。

 

元々生きる事に対してあまり興味をもたなかったりしていたから、どこか刹那的な楽しみ方をしていたなあ。

 

僕は冷静に考えたら悪にも善にもなれる恐ろしいどっちつかずの感覚を持っているのだなあと思った。

 

僕は人を知りたいが故にイエスマンになっているのかもしれない。人によっては優しすぎるというのだけれど、価値観を全てを受け入れたらそりゃどこか歪も生じるし、思考的にエラーも起こすだろうなあと冷静に考えている。

 

一度感じた事を修正するのは容易ではないし、きちんと伝えたい言葉があっても言語化できなければただの羅列にすぎないので、そこらへんは考えるべきかもしれないね。

 

利用するとかしないとかメリットとかデメリットとか考えてなかったけれど、心の充足や対等になるための心の在り方は友達関係や仲間関係に関して言えば重要なんだろうなあ。

 

僕はできたら言葉にしてほしいけど、全部を通して伝えたり伝えられたらお互い疲れちゃうものね。

 

何がしたいか明確にするというのは非常に大事だなあ。

 

心の欠けてる部分を責めるのではなくてそこをどう埋めるかが大事なのだなと。