表現は悪か否か

昨今ライブハウスに関わる演者やそれを運営している人達が悪だという流れが出来ている。不安な世の中一般的な流れとしてはそれは当たり前でもあるべき事柄なのかなとも思う。

 

でもそこにいるのは同じ人間だという事は忘れないでほしい。悪だと断ずるには短慮であることを知ってほしい。不要不急と言われたイベントの中にも誇りを持ちその事を仕事としている人達がいるのも知ってほしい。

 

その事柄に対して心動かされそのイベントを行う誰かを見に来る人達がいるのも知ってほしい。

 

彼等は彼等の仕事を全うしていて彼等は彼等の誇りある事をしているのだ。

 

きちんとした行動や理念をもったうえで身を切る想いで今生きているのだ。

 

見えない何かは恐ろしい。

誰かを標的にするのは非常に楽だ。

 

だけどそこに暴力や差別を用いる肩書で何かを言うのは違くないかと思う。

 

今の世界体調や命に警鐘をしなければいけないそんな世の中だ。

 

多数決や世の流れでこの人が悪いと断ずるのは楽だろう。

 

だけれども生きるために表現しなきゃいけない人もいるのだ。

 

彼等の心を蔑ろにするのは果たして正しいのかとも思ってしまう。

 

大多数の価値観や判断があるなかで僕個人の主観でしか話さないわけだから

今更正義や悪を論ずるのはしない。

 

ただ命に関わるからといってその行動は悪だと断じて攻撃するのはそれは美しい事なのかと思うだけ。

 

それは悪意じゃないのか?