フラットではありたいけれど

この御時世普通に会社に就職して企業にいる方達の今だからこそちゃんと耐え忍んで次に繋げるという気持ちもわかるし、イベントで生活をしていた人達の表現という活動をどうにか存命したい気持ちもわかる。

 

フラットでありたいという事はもしかしたらどっちつかずになるという事なのかもしれないけれども、前日の記事でも書いた通り僕は音楽や表現で生かされていた人間だから、現場に立っている人達の苦労話とかも聞いているし、僕自身も似たような事をしているからある程度は気持ち的にそえるつもりではある。

 

勿論社会に属するという意味での勤務というのもわかっているつもりだし、仕事があるだけマシなこの御時世だからこそ消費できないというのもわかる。

 

だけどその中でそれぞれ懸命に生きているわけであるし、誰かがダメだからという理由で集団心理に属するような言葉はやめていきたいよねと僕は個人的には考えている。

 

一人一人護るべきものも戦わなければいけないことも違うからこそ、一人一人のanswerが必要になってくるんじゃないかなと。

 

勿論僕個人もこれは容認できないなとかこの人の言葉や行動は好きとかあるし、その結果素直だとか媚びるとか色々あるけれども、誰かのために自分を犠牲にするのだとか自分の為に何かを消費するのとかは結局自分次第なのかなと思う。

 

今賢い選択とか色々な事柄が推奨されているなかでフラットとはいいつつも、イベントを出来るならタイミングみてやりたいと思う僕は異端なのかもしれない。

 

それでもしたいと思うのは表現や音楽が心から何か前向きな力を得てくれると信じているからだから。

 

勿論命の問題もあるから当面はイベントを延期や中止も視野に置いては動くけども、簡単にやめれたら苦労しないし、ライブきてねとは絶対的には言わないけど、それでも対策だったりそういうものはしていくので自粛という波が抜けたらしたい。

 

賢いか賢いとしたら僕は賢くはないだろうけども、周りに多かれ少なかれ表現や音楽、俗にいうエンタメというカテゴリに本気こいて何かしようと言う人間もいるからこそ、僕はこう考えていきたいな。

 

面倒くさがりなんで合わせる事も多いから自分の意志がないようには思うけれども、それなりに頭や今後の事はひたすら考えている。

 

勿論、自粛することの大切さとかそういうものも頭に入れた上で、好きな事する上で嫌な事もちゃんとしているわけだし、本気じゃなかったらあの手この手で決して継続するための行動も起こさないし、何より表現や音楽に対してあまり意識してない人達の考えもわかるって事も言わない。

 

今の時期発信するばかりが中心になるけれども、正直な話こんな時だからこそ明るく前向きな言葉が欲しい。

 

僕もネガティブな発信をしてしまいがちだけど、一度お互いの垣根を越えて、一般的な職業に就く人やクリエイターとか表現者、ミュージシャンが話せる機会があってもいいのかなあと感じてる。

 

今必要なのはお互いに不要ではなくて何故そのために生きるのかっていう明確な対話だと思う。

 

消費が出来ない中で生産できない中で建設的な言葉のやりとりはとても必要なんではないかなと。

 

生きる事は有意義に死ぬ事だと思っているから、有意義な終わりにするためにここで僕らは死なない方がきっといい。

 

表現や音楽に生きる人も一般的な職業に就く人もそれはお互いに捨てれない誇りある生き方をしているわけだからお互いを知る機会が巡ってきたとも考えるから。

 

ただの男の戯言かもしれないけれど、今一度お互いの生き方についてフラットな話が出来たらいいよねえ。